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「スタッフのつぶやき」

2014年3月

焼いた干し芋は最高です

投稿者: バナナ

最近、マイブームとなっているのが、「干し芋」です。
知り合いからのいただきものですが、とてもおいしい干し芋なのです

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昔は、おやつがわりに良く食べた覚えがありますが、
たまに食べたくなりスーパーへ行くと、殆どが中国産なので、
しばらく食べていませんでした。

そのまま食べてもおいしい干しいもですが、
我が家は、焼いて、少し焦げ目がついてから食べるのが定番でした。
なんとも、香ばしくてやみつきになります。

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干しいもを久しぶりに食べたら、昔おじいちゃんおばあちゃんや家族
みんなとの団欒風景を思い出してしまいました。

昔は、マキストーブを使っていた頃もあり、
アルミをひいた上に、干しいもをのせて良く焼いていたものです。

調べて見ると、自分でも作れるようですね。
簡単そうなので、いつか作ってみたいと思いますが、
初心者では、湿気により、すぐカビがついたりするそうです

天ぷらにしても、おいしいらしく、今度試してみたいと思います。

by バナナ


e_keizu2014年3月27日12:30 PM

ワカサギ釣り初体験

投稿者: ナカタ

先週の休日にワカサギ釣りに行ってきました。

ワカサギ釣りのポイントは良く通る場所なのですが、ワカサギを釣りに行くのは
今回が初めてです。
正直に言うと、雪まじりの寒風吹く中、良くやるなぁと思っていました。

今回は子供がテレビで見て、どうしてもやってみたいということだったので、
しぶしぶ行ったのですが、やってみるとかなり楽しかったです。
やはり何事も体験してみなければ分かりませんね。

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場所は函館近郊の観光地として有名な大沼公園の蓴菜(じゅんさい)沼です。
大沼公園には他にもポイントがあるようですが、一番有名なこちらを選びました。

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駒ヶ岳が間近に望めるポイントで晴天だったこともあり、気持ちの良い場所でした。

全くの初心者なので、受付で竿をレンタルして、餌の付け方やコツを教えて
もらいました。
餌は“さし”といっていましたが、家に帰ってから調べてみると、
イエバエのウジのようです。どうりで最初はちょっと気持ち悪い感じがしました。

餌を付けた後にその餌をはさみで切って中から液体を出します。
その液体をワカサギが吸いに来るらしく、その時に引っかけて釣るということでした。

最初は思うように釣れませんでしたが、見回りに来るスタッフさんのアドバイスで
順調に釣れるようになりました。子供も大喜びです。

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約2時間で82匹。周りの人も釣れていない日だったので、まずまずだったようです。
天ぷらにするか唐揚げにするかで悩みましたが、今回は唐揚げにしてみました。

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香ばしくて美味しかったです。
次回は釣ったその場で調理してみたいと思っています。


e_keizu2014年3月18日6:04 PM

道南の史跡・穴場めぐり②-「中島三郎助父子最期の地」

投稿者: asai

道南の史跡や穴場を紹介したいと思います。

今回は「中島三郎助父子 最期の地」です。
場所は函館市中島町36-12 函館税務署前の中央分離帯にあります。
写真 1

中島三郎助は、江戸幕府の浦賀奉行所与力で蝦夷共和国では箱舘奉行並となり、
土方歳三とともに箱舘戦争を戦った人物です。

写真 3

土方歳三と比べると知名度は低いようですが、どういった人物だったのでしょうか。
案内板をみてみましょう。
写真 2

「中島三郎助は浦賀奉行配下の役人であったが、安政2(1855)年に幕府が創設した
長崎海軍伝習所の一期生となり、3年後には軍艦操練所教授方となった。
維新後、明治元(1868)年10月、彼は榎本武揚と行動を共にし、軍艦8隻を率いて
北海道に来た。箱舘戦争では、五稜郭の前線基地であった千代ヶ岡陣屋の隊長として、
浦賀時代の仲間とともに守備についた。
新政府軍は箱舘を制圧すると、降伏勧告をしたが、中島はそれを謝絶して戦闘を続け、
5月16日に長男恒太郎や次男英次郎と共に戦死した。
『ほととぎす われも血を吐く 思い哉』という辞世の句を残した。
昭和6(1931)年に、中島父子を記念して千代ヶ岡陣屋のあったゆかりの地が中島町と
名付けられた。」

中島三郎助は、長崎海軍伝習所時代、勝海舟と同窓で、吉田松陰にも海防について
教授したといいます。また木戸孝允(桂小五郎)は、中島家に住み込みで造船学を学び、
その際に受けた恩義を忘れることなく、中島の遺族の保護を榎本武揚に依頼するなどしました。
明治9(1876)年、明治天皇の東北巡幸に随従し五稜郭へ向う途中、中島父子の戦死地を
通過した際、人目をはばかることなく声を上げて泣いたといいます。

中島町の由来となった人物だということは知っていましたが、詳しいことは殆ど知りませんでした。
木戸孝允のエピソードなどから、とても興味が湧きました。


e_keizu2014年3月3日8:20 AM