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「スタッフのつぶやき」

道南の史跡・穴場めぐり①-「土方歳三最期の地」

投稿者: asai

道南の史跡や穴場などを紹介したいと思います。

今回は「土方歳三 最期の地」です。
場所は、函館市若松町33-6 函館市総合福祉センターの敷地内にあります。
写真 2

石碑と一本木関の門があります。
センターの方なのか、近隣の方なのか、きちんと除雪されており、お供え物もありました。

写真 3

案内板です。
写真 1

「新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後、
新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。
明治元年(1868)10月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占領して新政権を樹立、
土方はその陸軍奉行並の要職についた。
翌2年4月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現大野町)だけは
最後まで落ちなかった。しかし、同年5月11日、ついに箱館も政府軍の手に落ちた。
土方は箱館奪回を目指し、50名の兵を率いて一本木(現若松町)の関門を出て箱館の市中に向い、
敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に35歳であった。」

 

歳三は、武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)の出身ですが、
最期の地ということで、遠い函館でもとても愛されている気がします。
毎年5月には「土方歳三コンテスト全国大会」が開かれており、
今年で第27回を数えるそうです。ずいぶん前からやっていたんですね。
知りませんでした。

歳三が愛される理由は、ブームということもあるでしょうが、
蝦夷新政権の財政事情が悪化した際、会計奉行らが
箱館の豪商から金品を徴収しようとしたことを歳三が強硬に反対して
取りやめさせたという話しが少なからず影響しているのかもしれませんね。

 


e_keizu2014年1月31日2:02 PM0件のコメント

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